フランス語で書かれた『方法序説』の「Je pense, donc je suis」私は考えるので私はあるを、デカルトと親交のあったメルセンヌ神父がラテン語訳し「Cogito ergo sum」「我思う、ゆえに我あり」コギト?エルゴ?スムとした。
一切を疑うべしDe omnibus dubitandumという方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない―“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分のレゾン?デートル(存在証明)である(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。