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凶徒的日文

音标:[ xiōngtú ]   日文发音:
  • 暴徒.人殺し.
  • 例句与用法
  • 観応の擾乱では、終始直義側に立ち、尊氏から「吉良荘の凶徒」と呼ばれる。
  • 戦いは3日に入っても終わらず、実朝の下に「多勢の恃み有るに似たりといえども、更に凶徒の武勇を敗り難し。
  • 為朝は「主人の前から立ち去れ」と言い返すが、政清は「主人ではあったが、今は違勅の凶徒」と言うや矢を放ち、為朝の兜に当たる。
  • しかし、文明10年(1478年)、敏定が幕府から「凶徒退治」を命じられ下国すると、支持勢力を失い、その後の行方は不明となる。
  • 後白河天皇に源為義らを斬罪に処すよう提言した藤原信西の言葉には「おほくの凶徒を諸国へわけつかはされば、定而猶兵乱の基なるべし。
  • 前九年の役の際に河内源氏の源頼義、義家父子に与力し、凶徒調伏などで功績を認められ、下野國守護職および下野國一之宮別当職、宇都宮座主の位を得た。
  • ひとつは、弘治2年6月28日の長尾景虎書状に”道七(為景)が「死期之刻」に凶徒が春日山城まで攻め来たり”と記述があるように、本拠である春日山城で没したとする説。
  • 正則は尾張派の重鎮大名として北政所を尊崇すること強く、広島に赴くにあたって高台寺を訪れ、「それがしが忘恩の凶徒と罵られながらも内府(家康)に忠節を尽くしてきたのは、ひとえに秀頼公を思っての事であります。
  • 文献上の早い例は、1394年に足利直冬が備中、備後、安芸、周防、長門、出雲、伯耆、因幡の8カ国を成敗する「中国探題」としてみえる(「師守記」「太平記」)こと、翌50年に高師泰が足利直冬討伐に「発向中国(ちゅうごくにはっこうす)」(「祇園執行日記」)、54年に将軍義詮が細川頼有に「中国凶徒退治」を命じた(「永青文庫文書」)こと等。
  • 其他语种释义
  • 凶徒的英语:villain; murderer
  • 凶徒的韩语:[명사]【문어】 흉도. 악당. 폭도.
  • 凶徒的俄语:pinyin:xiōngtú злоумышленник, злодей; бандит, убийца; участник разбойничьей шайки
  • 凶徒什么意思:凶恶的暴徒。    ▶ 南朝 陈 徐陵《梁贞阳侯与王太尉僧辩书》: “凡厥凶徒, 谁不歼扑。”    ▶ 唐 柳宗元 《古东门行》诗: “凶徒侧耳潜惬心, 悍臣破胆皆杜口。”    ▶ 《警世通言‧苏知县罗衫再合》: “ 徐爷 在 徐 家生长, 已熟知这班凶徒杀人劫财, 非止一事。”    ▶ 清 ...
  • 凶徒の英語:凶徒 きょうと outlaw rebel rioter
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